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13年越しの夢

1997年11月17日。
キャラメルボックスに入団して初めての誕生日福岡で迎えた。
21歳。
「サンタクロースが歌ってくれた」のツアー中で、
キャストの先輩たちにお店でお祝いしていただいた記憶が、
今でも鮮明に残っている。
まだキャラメルボックスの舞台に立ったことがなかった私。
いつか先輩たちのように舞台に立ちたい。
そして、いつの日か、
この大好きな作品が再演されるならば、絶対に出演したい。
いつか、きっと。

あれから13年が過ぎ、
34歳の誕生日を、
「サンタクロースが歌ってくれた」初日前日の劇場で迎えた。
10日間限定のアナザーキャストでの公演。
13年後、こんなことになっているなんて、
一体、誰に想像が出来ただろう。

13年のことがぐるんぐるんと、
頭の中でまわり、
心の中が真っ暗になってきゅーってする。

私の人生って……。
笑っちゃうくらい壮絶だ。
その壮絶さを楽しんで笑えなければ、
たぶんうまく生きられない。

私たちの10日間は終わった。
本番前の気合い入れのとき、舞台の上で、
この10日間のことを忘れないと言いながら、
みんなの前で泣いたことは、
きっと、死ぬ間際に思い出すことになるだろう。
10日間にむけて、一緒に戦ったこのキャストが、
私の1番愛した「サンタクロースが歌ってくれた」の登場人物たちで、
舞台さん、音響さん、照明さん、製作部、
前説のメンバー、裏で働いてくれた新人たちみんなが、
10日間の舞台を一緒に作り上げた素晴らしい仲間で、
みんなに感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。

そして、10日間、劇場に足を運んでくださったみなさん、
本当に本当にありがとうございました。
私はしあわせです。

25日まで舞台は続く。
違うキャストで。
10daysの方が好きと言ってくださる方もいたりするけど、
もちろん、比べられるものではないし、
どちらも別の良さがあるはず。
もうひとつのキャストには、どっちが面白いとか、
そんな恥ずかしいことは言わせない素晴らしい舞台を、
魂込めて作って欲しい。
たくさんの人に感謝しながら。
もっともっと本番をやりたかった私たちの気持ちも一緒に。

2年ほど前に演出家から聞いたときには、
私は違う役でキャスティングされていた。
この「サンタクロースが歌ってくれた」に登場する役は、すべて大好きで、
どのキャラクターにも思い入れがあった私は、
どの役がやりたいという気持ちなんてなかった。
どの役もやってみたかった。
そして、念願叶っていただいた役。

観ていたときと、やってみるのでは、
全く違ったし、
歴代の先輩たちとは違うアプローチにしたいと強く思った。
映画の中では、芥川龍之介と真正面から戦う、
第2の主人公といえる悪役である強い女性。
そんな人が人を愛し……と想像してみると、
なんとも自分と重なってきて、
とても愛しい人になった。
彼女の強さに支えられた。
弱さを仲間に見せられることへの感謝を知った。

違うんです。
私は犯人じゃないんです。

その叫びは、私の叫びと重なって。

誤解されていることを飲み込む人生。
誤解されるようなことをするからいけない。
するからいけない?

正義が勝つ世の中ではない。
正しい人が泣き寝入りをする。
でも人を愛する想いを踏みにじったり、
人が大切にしてる想いを笑う人は、
地獄に落ちなくてはいけない。
カンダタのように。

こんな苦しい思いをしながら、
人はなんのために生きるのか。
わからなくなることもあるけど、
私は今は迷っていない。
人が人を助ける。
ミツが、芥川が、みんなが、
当たり前のように、太郎を助けたように。
人を助けるということが、
私の生きる目的であると、
最近、強く思っている。

奇跡はなかなか起こらなくても、
でも、信じなくてはいけないのだ。
自分たちのことしか考えていない人が、
今はまだ地獄に落ちずに、
のんきに笑って生きているなら、
そんなやつは、笑わせておけばいい。
その最低な人生の中で。
神様はみています。
地獄は待ってます。
だから、きっと大丈夫だよ。

なめんなよって想いは、
心の中で、
おなめなさんな、くらいに変換して、
なめられないような、
なめられてもくじけないような、
踏みにじられても立ち上がれるような、
強い想いを持ち続けようよ。

34歳で、
「サンタクロースが歌ってくれた」に出演する夢が叶った。
たくさんの人に助けられながら。
次の夢を探そう。
まっすぐにしなやかに、
強く生きていこうと思う。
今度は私が誰かを助けるために。
34歳から先も、舞台を愛して。     つづく

夢のような10日間だったなぁ。
夢だったんだよと言われても疑わない。(独り言)

天国のゴッホに届け

フィンセント・ファン・ゴッホさま。
天国から、にっぽんのこの美術館の様子が見えますか?

私はゴッホが好き。
画家の中で誰が好きかと聞かれたら迷うけど、
1番か2番目に好き。
パリの美術館でも、ロンドンの美術館でも、
やっぱりゴッホの絵の前にずっと居てしまうから、
他のどんなにきれいな観光地らしい場所よりも、
美術館の中のゴッホの絵の前が好きだから、
たぶん、ゴッホが1番好き。

数年前、上野でダリの美術展があった。
宣伝もすごかったせいで、
ものすっっごい混雑だった。
あんな繊細な絵をこんな混雑の中でどうやって見たらいいのか、
さっぱりわからない状況だった。
ダリなんて見てわかるのだろうか、という小さな子供を連れた親が、
その美術展の品位を落としていて、がっかりした覚えがある。
日本の美術館なんて行くもんじゃない。
おかげさまで、ダリが嫌いになるくらいの苦い経験だったので、
大好きな美術館には、しばらく行けなかった。

好きな画家の美術展となれば、なおさら。

休みのないばたばたとした毎日が終わり、
次の公演の稽古が休みの日もあり、
少しだけ時間に余裕ができた、今日この頃。
10月からのゴッホ展も終わりが近づいていた。
先週の土曜日も夜に六本木に用事があったけど、
土曜日の美術館なんて、ダリの悲劇だ。
ゴッホを見に行っていやな思いなんか絶対にしたくない。
しかし、巡り合わせは面白いもので、
食事の約束をしていた相手から、前日にメールが来て、
待ち合わせは六本木で、だった時に、
やっぱり、昼間から六本木に行こうと決めていた。

これから見に行く方もたくさんいらっしゃると思うので、
あまり書けないけれど、
本当に見に行ってよかった。
没後120年、ゴッホ展。
サブタイトルは「こうして私はゴッホになった」。
27歳で画家を志したゴッホが、
誰の影響を受け、どのように独学で学んでいき、
どのような流れであのきいろくてあおい絵を描くようになったかが、
とてもわかりやすく展示されていた。
最後まで見ては、最初に戻って、
ぐるぐるした。
ゴッホの絵だけじゃなくて、
たっくさんの日本人がゴッホの絵を見ている様子を見た。
ゴッホが絵を描いた短すぎる10年の、
花の命のように短かったその時間に、
ものすごい勢いで光り輝いていった彼の作品たちを見て、
胸がいっぱいになった。

なんで、死んでしまったの?

37歳のとき、麦畑で銃を持っていた彼は、
どんな想いだったのだろう。
本当に自殺だったのだろうか。

どうして、誰も、彼を救うことができなかったのだろう。

芥川龍之介が自殺したのも30代だった。
天国の龍之介が、
自分の作品が教科書に載ったり、映画になったり、
彼の全集が出たことを知ったら、
どんな顔をするのだろう。

どうして、誰も、彼を救うことができなかったのだろう。

天国のゴッホさん。
今のこの六本木がどのように見えますか。
浮世絵の影響を受けたあなたの作品を、
亡くなって120年経つ今、日本人たちが、
混雑にいらいらしながらも、こんな風にみんなで見ている様子を、
あなたは、どう思いますか。
ひまわり」の絵が58億で売れて、
日本の美術館に厳かにひっそりと置いてある場所が、
私はとても好きなのですが、
あなたは、どう思いますか。

生きていると死にたくなるくらい大変なこともあるけれど、
死ぬくらいなら、オランダにゴッホの絵を見にいきたいし、
私には助けてくれる人がいるから、
死にません。
死ぬくらいなら、そのちっぽけな命で、誰かを救いたいから、
まだ、死ねません。

ゴッホの絵は、120年後に生きる私にも届く。
描くのが死ぬほど苦しかっただろうけど、
描いてくれたおかげで、生きてる人もいる。

私も誰かを救えるだろうか。
舞台に立たなくては。

今、ゴッホにいただいたエネルギーを、
次の作品にぶつけたいと思う。   つづく

美術館はやっぱり好き。(独り言)

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